橘 曙覧  Akemi TACHIBANA  1812~1868

文化9年(1812)福井石場町(現つくも町)生まれ。正玄五郎右衛門の長男、井手左大臣・橘諸兄の第39世の子孫。幼名は五三郎、通称は尚事、のち曙覧と改める。日蓮宗妙泰寺(南条町)明導につき仏学を修め、のち京都の児玉旗山の塾生として漢学を学び、さらに本居宣長の遺弟・田中大秀に国学を修める。広く和漢の学を究め、歌は万葉を学びとり、清貧に甘んじながら、当時の庶民となりその生活を詠む。それは正岡子規も言っているように、短歌の革新者とも言うべきである。54歳のとき、藩主松平春嶽が訪れ出仕を勧めたが、隠棲の身を以って辞退する。慶応4年(1868)歿、57歳。

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